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1926年9月18日、富士の霊峰を中心に富士山麓一帯を世界的観光地として大規模に開発するという構想のもとに、まず第一歩として交通機関を整備すべく、富士山麓電気鉄道株式会社を設立しました。翌年、御殿場~富士吉田~河口湖間及び大月~富士吉田間、富士吉田~河口湖~精進湖間の自動車営業を開始しました。
大月~富士吉田間の軌道を経営していた富士電気軌道株式会社を譲り受け、その経営を継承する一方で、本格的な電気鉄道の建設に着手し、1929年より大月~富士吉田間(大月線)23.6kmの鉄道営業を開始しました。
8月1日開業。山中湖畔には、貸別荘の他、山中湖ホテル・山中ニューグランドロッジ・富士ニューグランドホテルなどが営業をはじめ、東京帝国・慶應義塾・明治などの大学や専門学校、それに中等学校などの夏季施設が建設され、夏のにぎわいをみせいていた中で開業しました。 ゴルフは、まだ一部の人達にのみ愛好され、ゴルフ場自体も箱根仙石原に1コースあるだけの時代に、「別荘地にはゴルフ場が必要である」、という考えのもとゴルフ場を建設しました。
河口湖線延長は、5月15日起工式を行い、7月31日敷設工事完了しました。そして8月24日に富士吉田~河口湖間の3.1kmが完成し、1929年先に開業していた大月~富士吉田間を延伸し、河口湖間まで合計26.7kmの営業距離区間となりました。