価値創造の軌跡

富士山のふもとで

「富士山の北麓にある山梨県の県有地を、数百万坪借り受けます。ここは景勝に富む、山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖など五つの湖があり、その湖畔には別荘を数千戸造って開発します。ここに、八間幅もある道路を整備して遊覧客にも便宜を供与したいと思います…。」

1917年9月25日

東京・帝国ホテルで開かれた「岳麓開発事業創立準備委員会」で、当時の甲州財閥を代表する小野金六、根津嘉一郎をはじめ、参集した在京の実業家十数名を前に、創立筆頭委員であった堀内良平(現在の富士急行株式会社の創業者)が情熱を込めてその趣旨を訴えました。

創業者・堀内良平
創業者・堀内良平

未開の富士山北麓の景勝地を開発して、「富士山を世界に売る」という堀内良平の壮大な夢の構想をバックアップしたのは山脇春樹山梨県知事でした。官民一体の計画推進活動のために率先して準備会招集責任者となり、その日、準備委員会の開催が実現したのでした。当時としては、誰も思い描くことのできなかったその構想には、大月から富士吉田への鉄道敷設、すでに運行していた富士身延鉄道の「電気鉄道化」計画も含まれていました。
翌1918年4月、甲府市の望仙閣に、県会議員および甲府市会議員数十名が招かれ、「富士山麓開発準備委員会」が開催されます。

そこで提唱された理念とは、
――日本は気候温暖で風光明媚ながら、箱根や日光、京都ですら設備が不完全で外国人観光客を満足させていない。富士山と富士五湖を中心に、風光世界一の富士北麓を開発して、大いに世界に売り込めば、甲州はもちろんのこと日本の発展にも寄与する――
というものでした。

1924年6月、山脇知事の後に就任した本間利雄山梨県知事は、岳麓開発に熱心に取り組みます。1923年に発生した関東大震災後の厳しい経済状況の中で、本間知事は、県是として富士山麓開発構想を実現する方針を固めます。「岳麓開発は、小さな考えを捨ててかからねばならない」と。1925年、本間知事は県内有力者約百名を県会議事堂に招集し協力を求め、様々な議論の末、最終的には全会一致で知事の説明に賛成が得られます。本間知事は、この結果を早速、東京にいた堀内良平に伝えています。

1926年9月、後任の黒瀬弘志山梨県知事の肝いりで「富士山麓電気鉄道株式会社」の創立総会が東京市麹町区有楽町の帝国鉄道協会で開催されました。堀内良平は代表取締役に選任され、同時に山中湖畔別荘地開発事業を担う「富士山麓土地株式会社」が姉妹会社として誕生し、いよいよ本格的な富士山麓開発が開始される記念すべき年となりました。

株式募集パンフ(表) 株式募集パンフ(裏)
株式募集パンフ
富士山麓土地株式会社
富士山麓土地株式会社
創業者・堀内良平
創業者・堀内良平
株式募集パンフ(表) 株式募集パンフ(裏)
株式募集パンフ
富士山麓土地株式会社
富士山麓土地株式会社

創業期

創業

1926年 / 富士山麓電気鉄道株式会社創立

1926年9月18日、富士の霊峰を中心に富士山麓一帯を世界的観光地として大規模に開発するという構想のもとに、まず第一歩として交通機関を整備すべく、富士山麓電気鉄道株式会社を設立しました。翌年、御殿場~富士吉田~河口湖間及び大月~富士吉田間、富士吉田~河口湖~精進湖間の自動車営業を開始しました。

富士山麓電気鉄道株式会社創立当時の新聞記事
富士山麓電気鉄道株式会社創立当時の新聞記事
線路敷設工事の様子
線路敷設工事の様子

1929年 / 大月~富士吉田間 23.6kmの鉄道開通

大月~富士吉田間の軌道を経営していた富士電気軌道株式会社を譲り受け、その経営を継承する一方で、本格的な電気鉄道の建設に着手し、1929年より大月~富士吉田間(大月線)23.6kmの鉄道営業を開始しました。

1932年 / 富士山麓電気鉄道株式会社と富士山麓土地株式会社が合併

1935年 / 富士ゴルフ倶楽部(現:富士ゴルフコース)開業

8月1日開業。山中湖畔には、貸別荘の他、山中湖ホテル・山中ニューグランドロッジ・富士ニューグランドホテルなどが営業をはじめ、東京帝国・慶應義塾・明治などの大学や専門学校、それに中等学校などの夏季施設が建設され、夏の賑わいを見せていた中で開業しました。ゴルフはまだ一部の人達にのみ愛好され、ゴルフ場自体も箱根仙石原に1コースあるだけの時代に、「別荘地にはゴルフ場が必要である」という考えのもとゴルフ場を建設しました。

富士ゴルフ倶楽部開場当時の様子
富士ゴルフ倶楽部開業

1950年 / 富士吉田~河口湖間 3.1kmの鉄道開通

河口湖線延長は、5月15日に起工式を行い、7月31日に敷設工事完了しました。そして8月24日に富士吉田~河口湖間の3.1kmが完成し、1929年に先に開業していた大月~富士吉田間を延伸し、河口湖まで合計26.7kmの営業距離区間となりました。

富士吉田~河口湖間を走る鉄道
富士吉田~河口湖間を走る鉄道
富士山麓電気鉄道株式会社創立当時の新聞記事
富士山麓電気鉄道株式会社創立当時の新聞記事
線路敷設工事の様子
線路敷設工事の様子
富士ゴルフ倶楽部開場当時の様子
富士ゴルフ倶楽部開業
富士吉田~河口湖間を走る鉄道
富士吉田~河口湖間を走る鉄道

成長期・躍進期

30周年

1960年 / 富士急行株式会社へ社名変更

富士山麓電気鉄道株式会社から富士急行株式会社へ改称。
鉄道会社のイメージから運輸、観光を両軸とした会社へ歩み出しました。

1961年 / 富士五湖国際スケートセンター(現:富士急ハイランド)開場

スケート場・人工スキー場・国際観光ホテル建設など、将来の中心的役割を果たす観光事業として溶岩地帯の荒涼な場所に富士五湖国際スケートセンターはオープンしました。これにより、「運輸と観光の複合企業体」づくりへの第一歩となりました。

富士五湖国際スケートセンター
富士五湖国際スケートセンター

1963年 / ホテルマウント富士開業

岳麓最大の国際観光ホテル「ホテルマウント富士」は1963年7月に竣工しました。

ホテルマウント富士
ホテルマウント富士

1964年 / 富士スバルライン開通により富士山五合目まで定期バス乗り入れ

河口湖を起点に五合目まで完全舗装された約30kmの富士スバルラインが1964年に開通、登山客の便を図りました。

初島バケーションランド(現:PICA初島)開業

首都圏から一番近い離島「初島」に、約2年半の歳月をかけて開発。翌年には熱海~初島航路に快速船「初島号」を就航しました。

1967年 / 富士山五合目に雲上閣開業

富士スバルラインの終点広場に誕生したレストランホテルは、当時、富士山では初めての浴室を完備して話題を呼びました。

40周年

1969年 / 富士急ハイランドグランドオープン

1966年12月にジャイアントコースターがオープンし、その後もハイランドホールやスケートリンク、新設のアトラクションを多種そろえ、中央自動車道開通と同時、3月27日にグランドオープンを迎えました。

富士急ハイランド
富士急ハイランド

中央高速バス 富士五湖線(新宿~富士五湖)運行開始

新宿~富士五湖間を運行していた定期急行バスは1965年に通年運行になり、1969年、中央自動車道の調布~河口湖間が全通すると同時に「中央高速バス」として運行開始しました。また1976年には中央自動車道と首都高速4号線が直結され、さらに運行時間は大幅に短縮されることになりました。

中央高速バス 富士五湖線
中央高速バス 富士五湖線

1973年 / 日本ランド(現:Grinpa、スノーパークYeti)グランドオープン

“自然と人間の理想の出会い”をテーマに、自然との調和を図り開発。遊園地、ゴルフ場、スキー場、ホテル、富士山ハイウェイなどからなる、一大レジャーランドが完成しました。

日本ランド(現:Grinpa、スノーパークYeti)
日本ランド(現:Grinpa、スノーパークYeti)

50周年

1985年 / 富士急ハイランドコニファーフォレスト開業

富士急ハイランド南側に、400mスケートリンクを備えたスポーツゾーン「富士急ハイランドコニファーフォレスト」を開業し、1986年1月、皇太子殿下、美智子妃殿下をお迎えして第41回国民体育大会(かいじ国体)冬季大会の開会式を開催しました。

コニファーフォレスト
コニファーフォレスト

60周年

1986年 / ホテルハイランドリゾート(現:ハイランドリゾートホテル&スパ)開業

1986年3月に都市型リゾート多機能ホテル「ハイランドリゾート」を開業し、同年12月に国際観光ホテルに登録されました。

ホテルハイランドリゾート(現:ハイランドリゾートホテル&スパ)
ホテルハイランドリゾート(現:ハイランドリゾートホテル&スパ)

1989年 / 熱海シーサイドリゾート(現:熱海シーサイド・スパ&リゾート)営業開始

熱海シーサイドリゾート(現:熱海シーサイド・スパ&リゾート)
熱海シーサイドリゾート(現:熱海シーサイド・スパ&リゾート)

1991年 / ツェルマット鉄道(現:マッターホルン・ゴッタルド鉄道)姉妹鉄道提携合意

1990年10月、ヨーロッパの名峰マッターホルンの麓を走るツェルマット鉄道と日本の名峰富士山のふもとを走る富士急行が姉妹鉄道として提携を合意しました。

富士五湖国際スケートセンター
富士五湖国際スケートセンター
ホテルマウント富士
ホテルマウント富士
富士急ハイランド
富士急ハイランド
中央高速バス 富士五湖線
中央高速バス 富士五湖線
日本ランド(現:Grinpa、スノーパークYeti)
日本ランド(現:Grinpa、スノーパークYeti)
コニファーフォレスト
コニファーフォレスト
ホテルハイランドリゾート(現:ハイランドリゾートホテル&スパ)
ホテルハイランドリゾート(現:ハイランドリゾートホテル&スパ)
熱海シーサイドリゾート(現:熱海シーサイド・スパ&リゾート)
熱海シーサイドリゾート(現:熱海シーサイド・スパ&リゾート)

発展期

70周年

1996年 / 富士急ハイランドにキング・オブ・コースター「FUJIYAMA」オープン

開業当初、「高さ」「巻き上げ高さ」「落差」「最高速度」の4項目で世界一を誇り、1997年度のギネスブックに掲載されました。

1998年 / 富士急ハイランドに「トーマスランド」 オープン

1998年7月、富士急ハイランドに「きかんしゃトーマスとなかまたち」の世界初のテーマパーク「トーマスランド」がオープンしたほか、富士急行線に「トーマス電車」、ホテルハイランドリゾートに「トーマスルーム」が登場しました。

富士急ハイランドが誇る「絶叫系」コースター
富士急ハイランドが誇る「絶叫系」コースター

2003年 / フジヤマミュージアムオープン

ホテルハイランドリゾート隣に近・現代の画家たちが描いた様々な“富士山”を展示した美術館「フジヤマミュージアム」をオープンしました。

フジヤマミュージアム
フジヤマミュージアム

80周年

2006年 / 富士急ハイランドに「ええじゃないか」オープン

総回転数14回転が世界一(ギネス世界記録認定)の最新型ローラーコースター「ええじゃないか」をオープンしました。

2007年 / 相模湖ピクニックランド(現:さがみ湖MoriMori)を譲受、富士急グループに加入

相模湖ピクニックランド(現:さがみ湖MoriMori)
相模湖ピクニックランド(現:さがみ湖MoriMori)

2008年 / 富士本栖湖リゾートで「富士芝桜まつり」初開催

約70万株の芝桜と富士山の共演が鑑賞できる首都圏最大級の芝桜の庭園「富士芝桜まつり」が初開催されました。

富士芝桜まつり
富士芝桜まつり

2011年/富士急ハイランドに「高飛車」オープン

暗闇での急降下から、リニアモーターによる急加速、7ヵ所のひねり(回転)、最大落下角度121度のえぐるような落下、空を見ながらの姿勢での急上昇、落下姿勢での一時停止など、すべての体験が規格外の大型コースター。

富士急ハイランドに「リサとガスパール タウン」オープン

フランス生まれの絵本「リサとガスパール」。その絵本の舞台でもあるパリの街並みを忠実に再現したテーマパーク「リサとガスパール タウン」をオープンしました。

リサとガスパールタウン
リサとガスパールタウン

2015年 / 「忍野しのびの里」オープン

忍野村に忍者がテーマのエンターテイメント型観光施設「忍野しのびの里」をオープンしました。

忍野しのびの里
忍野しのびの里

90周年

2016年 / 「富士山ビュー特急」運行開始

鉄道デザインの巨匠、水戸岡鋭治氏が車両デザインを手掛けました。

富士山ビュー特急
富士山ビュー特急

2018年 / 富士急ハイランドが入園料無料化を開始

2022年 / 「十国峠ケーブルカー」「十国峠レストハウス」の事業譲受

十国峠
十国峠

2023年 / 富士急ハイランドにバイクライド型コースター「ZOKKON(ぞっこん)」がオープン

バイク型のライドに乗り込んでハンドルを握りしめ、右に左に駆け巡り、全身で風を感じる“爽快MAX”のコースター。

「箱根 芦ノ湖遊覧船」の事業譲受

2024年2月23日に新船「箱根遊船SORAKAZE」が運航開始。環境への配慮、エンターテインメント性の高さにおいて評価され、2024年度グッドデザイン賞を受賞しました。

箱根遊船 SORAKAZE
箱根遊船 SORAKAZE

2024年 / 新シンボルマークを制定

新シンボルマークについて

新シンボルマーク
新シンボルマーク
富士急ハイランドが誇る「絶叫系」コースター
富士急ハイランドが誇る「絶叫系」コースター
フジヤマミュージアム
フジヤマミュージアム
相模湖ピクニックランド(現:さがみ湖MoriMori)
相模湖ピクニックランド(現:さがみ湖MoriMori)
富士芝桜まつり
富士芝桜まつり
リサとガスパールタウン
リサとガスパールタウン
忍野しのびの里
忍野しのびの里
富士山ビュー特急
富士山ビュー特急
十国峠
十国峠
箱根遊船 SORAKAZE
箱根遊船 SORAKAZE
新シンボルマーク
新シンボルマーク
富士山と芝桜 富士山と芝桜